アメリカの作家でジャーナリストでもあるユータス・マリンズの記事が雑誌「サイバーX」に掲載されている。
一人はアメリカに原爆開発を踏み切らせたアルバート・アインシュタイン。
もう一人は広島・長崎に原爆投下を決定したマンハッタン計画の責任者J・ロバート・オッペンハイマーだったという。
アメリカを原爆開発に踏み切らせたのは、アインシュタインの書簡(1939年8月2日付け)をロシア出身のユダヤ人アレクサンダー・サックスが、ホワイトハウスのルーズベルト大統領へ届けたことが発端という。
アインシュタインはロスチャイルドと親交があり、この手紙をみたルーズベルトは、原爆開発の計画をロスチャイルドが承認し、大至急、遂行せよと言っている意味が明確に読み取れたという。
原子爆弾は、ニューメキシコ州のロス・アラモス研究所で開発された。開発に携わった科学者の多くはニューヨークのユダヤ人居住区マンハッタン在住者だったため、この秘密計画は「マンハッタン計画」と呼ばれた。
指導者はユダヤ人の大富豪バーナード・バルークで、責任者も同じくユダヤ人でアインシュタインを師と仰ぐ科学者、J・ロバート・オッペンハイマーである。
1945年7月16日、ロスアルモスの南200マイルで最初の原爆が炸裂した。
この光景にオッペンハイマーは狂喜して、「私は死神、世界の破壊者」だと叫んだという。ユダヤ人の5000年にわたる欲望、「全人類を支配する究極の力」をついにユダヤ人が獲得したことを知ったからである。
オッペンハイマーは、原爆投下は日本に警告なしに行われるべきだ、と主張した。
アインシュタインはユダヤの大財閥バルークとともに、京都を原爆の最初の血祭りにあげるべきだと主張したが、スティムソン陸軍長官は、「京都に何ら軍事目標はなく、由緒ある木造寺院が数百ある」と言って猛反対したという。
実はアインシュタインとバルークは、京都が日本国民にとって深い文化的意義をもっていたというまさにその理由によって、京都の破壊を求めていたのである。
オッペンハイマーは引退後、師アインシュタインがロスチャイルドに頼んで創らせた秘密財団のシンクタンクの理事を務めている。
「マンハッタン計画」に携わったユダヤ人科学者の中で、もっとも反日強硬派だったのはフォン・ノイマンだろう。
彼は日本人を蔑視し、京都を原爆の最初の血祭りにあげるべきだと主張した。
京都が日本国民にとって深い文化的意義をもっていたというまさにその理由によって、京都の破壊を求めていたのである。
しかし、ヘンリー・スチムソン陸軍長官の反対によって、京都は原爆のターゲットから外された。
彼は、京都の代わりに長崎の追加を指示したのである。
(ヘンリー・スティムソン陸軍長官は新婚旅行をした時に京都が気に入ったので、原子爆弾のターゲットリストから取り除いたらしい)
アメリカ軍部の一部は京都を原爆投下目標とすることを諦めず、空襲を実施しなかった。
原爆投下後に原爆の影響を正確に把握するため、空襲が禁止されていたのである。
京都が最後まで空襲されなかったのは、原爆投下の前に日本が降伏したからにすぎない。
ユダヤ人 VS 偽ユダヤ人
2013年9月30日月曜日
2013年9月29日日曜日
白人系ユダヤ人とは何者なのか?
ヘブライ人は白人系ではなかった。古代イスラエル人と血統的につながりをもつのは、アブラハムのときにわかれたパレスチナ人であり、当然ながら彼らは白人ではない。
さらに旧約聖書にさかのぼると、人類の始祖アダムとイブ(エバ)の子孫にノアが出る。ノアの3人の息子のセム、ハム、ヤペテは、セム=黄色人、ハム=黒人、ヤペテ=白人の祖先になったとされている。
それぞれ違う資質を受け継いでいたからに他ならない。
最も重要なのは、アブラハム(後に子孫にイスラムを信仰するアラブ民族が出る)、ダビデ、ソロモン、イザヤ、さらに、イエス・キリストを含む全てのヘブライ人はノアの3人の息子の中の「セム」の子孫という点だ。
当然ながら、ヤコブも「セム」の直系であり、イスラエルの十二士族全ても「セム」の子孫、すなわちアジア系民族ということなのだ。
これは旧約聖書に明確に記載されている。創世記第11章にアブラハムの系図として10節から26節に明確な記載がある。
つまり白人系の「ヤペテ」の子孫は、「セム」から生まれたヘブライの純粋な血統ではないし、イスラエル人でもないというのが厳然たる事実なのだ。
それでは今のイスラエルにいる白人系ユダヤ人とは何者か。
彼らは白人系民族のユダヤ教改宗者ということで、血統的なイスラエル人ではない。
ユダヤ教白人種(アッシュケナジー系)という意味でのユダヤ人なのだ。
これらの人々は、紀元8世紀頃、黒海北方に存在したアーリア系白人国家「カザール」の末裔ということが歴史的に判明している。
しかしユダヤ教に国をあげて改宗した「カザール」も、ビザンチン帝国とモンゴル帝国に攻め滅ぼされ、11世紀に滅亡する。
そのため、難民となった白人系ユダヤ教徒は西に移動し、ヨーロッパでユダヤ人として生きていく。
もちろん、血統的なユダヤ人の一部もヨーロッパに移り住んだが、多くのものはパレスチナの地で、仲間であるパレスチナ人と共に暮らすことになる。
彼ら血統的ユダヤ人を「スファラデェイ系ユダヤ人(1960年当時、セム系のスファラデェイ系ユダヤ人は約66万人と推定された)」といい、イスラエル建国と同時に約束の地に戻ったが、血統的にユダヤ人ではない白人種の「アッシュケナジー系ユダヤ人」により、差別されて下級市民として扱われている。今日のユダヤ人の9割以上はセム族ではない。
だが、血統的な「スファラデェイ系ユダヤ人」といえども、「イスラエルの十士族」ではない。
彼らは「バル・コクバの戦い」で、ローマ帝国に逆らい、紀元後136年に国を失い散らされた「ユダ王国(南朝)」の末裔である。
「イスラエルの十士族」とは、「イスラエル王国(北朝)」にいたイスラエル人のことで、モンゴロイド系が殆どであった。
白人のユダヤ人というのは、混血でもないかぎり血統的に存在しないことになる。実際の「モーセ」、「アブラハム」「イエス・キリスト」等はアジア系有色人種なのである。
これは日本人を含むモンゴロイド系民族が「イスラエルの十士族」の末裔の可能性を強く示唆している事実だ。
さらに旧約聖書にさかのぼると、人類の始祖アダムとイブ(エバ)の子孫にノアが出る。ノアの3人の息子のセム、ハム、ヤペテは、セム=黄色人、ハム=黒人、ヤペテ=白人の祖先になったとされている。
それぞれ違う資質を受け継いでいたからに他ならない。
最も重要なのは、アブラハム(後に子孫にイスラムを信仰するアラブ民族が出る)、ダビデ、ソロモン、イザヤ、さらに、イエス・キリストを含む全てのヘブライ人はノアの3人の息子の中の「セム」の子孫という点だ。
当然ながら、ヤコブも「セム」の直系であり、イスラエルの十二士族全ても「セム」の子孫、すなわちアジア系民族ということなのだ。
これは旧約聖書に明確に記載されている。創世記第11章にアブラハムの系図として10節から26節に明確な記載がある。
つまり白人系の「ヤペテ」の子孫は、「セム」から生まれたヘブライの純粋な血統ではないし、イスラエル人でもないというのが厳然たる事実なのだ。
それでは今のイスラエルにいる白人系ユダヤ人とは何者か。
彼らは白人系民族のユダヤ教改宗者ということで、血統的なイスラエル人ではない。
ユダヤ教白人種(アッシュケナジー系)という意味でのユダヤ人なのだ。
これらの人々は、紀元8世紀頃、黒海北方に存在したアーリア系白人国家「カザール」の末裔ということが歴史的に判明している。
しかしユダヤ教に国をあげて改宗した「カザール」も、ビザンチン帝国とモンゴル帝国に攻め滅ぼされ、11世紀に滅亡する。
そのため、難民となった白人系ユダヤ教徒は西に移動し、ヨーロッパでユダヤ人として生きていく。
もちろん、血統的なユダヤ人の一部もヨーロッパに移り住んだが、多くのものはパレスチナの地で、仲間であるパレスチナ人と共に暮らすことになる。
彼ら血統的ユダヤ人を「スファラデェイ系ユダヤ人(1960年当時、セム系のスファラデェイ系ユダヤ人は約66万人と推定された)」といい、イスラエル建国と同時に約束の地に戻ったが、血統的にユダヤ人ではない白人種の「アッシュケナジー系ユダヤ人」により、差別されて下級市民として扱われている。今日のユダヤ人の9割以上はセム族ではない。
だが、血統的な「スファラデェイ系ユダヤ人」といえども、「イスラエルの十士族」ではない。
彼らは「バル・コクバの戦い」で、ローマ帝国に逆らい、紀元後136年に国を失い散らされた「ユダ王国(南朝)」の末裔である。
「イスラエルの十士族」とは、「イスラエル王国(北朝)」にいたイスラエル人のことで、モンゴロイド系が殆どであった。
白人のユダヤ人というのは、混血でもないかぎり血統的に存在しないことになる。実際の「モーセ」、「アブラハム」「イエス・キリスト」等はアジア系有色人種なのである。
これは日本人を含むモンゴロイド系民族が「イスラエルの十士族」の末裔の可能性を強く示唆している事実だ。
旧約聖書のアブラハム(紀元前17世紀)の孫はヤコブ(別名イスラエル)であり、ヤコブの12人の息子を祖先とするのが、イスラエル12支族である。12支族はアシェル族、エフライム族、ガド族、ベニヤミン族、イッサカル族、ルベン族、マナセ族、ダン族、ナフタリ族、ゼブルン族、ユダ族、シメオン族に分かれているとされる。孫のヤコブ(ヤアコブ)の時代にエジプトに移住した後に、子孫はやがてエジプト人の奴隷となる。400年程続いた奴隷時代の後に紀元前13世紀にモーセ(モーゼ)は民族をエジプトから連れ出し、イスラエル12支族はシナイ半島を40年間放浪し定住を始め、200年程かけて一帯を征服して行く。カナンの地に住み、ダビデ王(紀元前1004年‐紀元前965年)の時代に統一イスラエル王国として12部族がひとつにされる。ソロモン王(紀元前965年‐紀元前930年)の死後、南北に分裂して、サマリヤを首都に10部族による北王国イスラエルと、エルサレムを首都にする2部族による南王国ユダに分かれた。北王国は紀元前722年にアッシリアにより滅ぼされ、10支族のうち指導者層は虜囚としてアッシリアに連行された。この10支族の行方は文書に残されていないため、2部族によって「失われた10支族」と呼ばれた。アッシリアに征服された後、信仰を深めるため、信仰を邪魔されない場所に移るとして、消息不明になったと言う預言もある(エズラ第4書13:39〜47)。
ユダ族等の残り2支族は、エルサレムを都として南ユダ王国を建国した後、紀元前586年に新バビロニアに滅ぼされた。指導者層はバビロンなどへ連行され虜囚となったが、宗教的な繋がりを強め、失ったエルサレムの町と神殿の代わりに律法を心のよりどころとするようになり、神殿宗教であるだけではなく律法を重んじる宗教としてのユダヤ教を確立することになる。ユダ族等は離散後、ユダヤ人と呼ばれるようになった。
2013年9月21日土曜日
見よ。サタンの会衆に属する者、すなわち、ユダヤ人だと自称しながら実はそうでなくて、うそを言っている者たちに、わたしはこうする。見よ。彼らをあなたの足もとに来てひれ伏させ、わたしがあなたを愛していることを知らせる。
「私は、あなたの苦難や貧しさを知っている。だが、本当はあなたは豊かなのだ。自分はユダヤ人であると言う者どもが、あなたを非難していることを、私は知っている。ユダヤ人と自称しているけれども、それは嘘で、ユダヤ人ではない。実はシナゴーグに属するサタン(悪魔)の一味である。そのような者どもが出現するであろう。」
ハザール(突厥文字:



、英: Khazar、ヘブライ文字:הכוזרים)は、7世紀から10世紀にかけてカスピ海の北からコーカサス、黒海沿いに栄えた遊牧民族およびその国家。支配者層はテュルク系民族と推測されている。交易活動を通じて繁栄した。アラビア語、ペルシア語資料では خزر Khazar と書かれている。日本語ではハザル、ハザリア、ホザールあるいはカザールと表記されることもある。
「ユダヤ人には、大きく分けて「アシュケナージ」と「スファラディ」と呼ばれる二つの系統がある。世界のユダヤ人1500万人のうち、その9割を占めるアシュケナージは、主に東欧を中心とした地から出たヨーロッパ系の人々、そしてスファラディは、中世までスペインで活動していたアジア系の人々だと言われている。」
ハザール(突厥文字:





ハザールのユダヤ教受容は非常に有名であるが、改宗に関する史料は少なく、その時期と実態は謎に包まれており、さまざまな論争を呼んでいる。西欧ではアクイタニア(アキテーヌ)のドルトマルが864年に書いたマタイ伝の注釈の中で、ハザールの改宗にふれているので、864年以前であることは確実であろう。アラブのマスウーディーはハザールの王(ベク)がハールーン・アッ=ラシード(在位:786年 - 809年)の時代に、ユダヤ教を受け入れ、ビザンツ帝国やムスリム諸国から迫害を受けて逃れてきたユダヤ教徒がハザール国に集まったと記している。10世紀のコルドバのユダヤ人ハスダイ・イブン・シャプルトがハザールのヨシフ・カガンに宛てた手紙、いわゆる『ハザール書簡』において、「ブラン・カガンが夢の中で天使に会ってユダヤ教に改宗したが、民衆が新しい宗教を信じなかったので、ベクが尽力してユダヤ教の普及をはかった」という記述がある。ブラン・カガンの時代だとすると、730年 - 740年頃ということになる。以上のように、改宗の時期や理由は断定することはできないが、9世紀初頭と考えるのが妥当なところであろう。
735年にマルワーン率いるウマイヤ朝軍に敗れたハザールは一時的にイスラム教に改宗したものの、アッバース革命に前後するイスラーム帝国内部の混乱を機に、799年にオバデア・カガンは再びユダヤ教を公的に受容した。こうして9世紀までに、ハザールの支配者層はユダヤ教を受容したが、住民はイスラム教徒が多かったと考えられている。
サタンのシナゴーグが一部のキリスト教徒を監獄につなぎ、他の多くの信者を殺害すると言っている。人々をだますことによって密かに世界を征服しようという彼らの邪悪な陰謀は、ついに全人類に「試練の時」をもたらすのだ。(黙示録二章十節・三章十節)
「イルミナティ」という言葉は、サタン(ルシファー)に由来し、「光を掲げる者」という意味を持ち、古くから多くの宗派に用いられてきたものです。
歴史をたどると、フランス革命、アメリカ独立戦争、第一次世界大戦、ロシア革命、スペイン内戦、第二次世界大戦と重要な転換点で「イルミナティ」という秘密結社の影が見え隠れしています。
旧約聖書に見られるとおり、「知」はイブをそそのかした蛇(=悪魔の化身)と見なされて、キリスト教から、一貫して悪徳とみられ、迫害され続けてきました。
聖書はサタンがこの世の王子となって私たちの最初の祖先を神から離反させた経緯について書かれた歴史物語であり、サタンのシナゴーグがこの世に打ち立てられ、神の計画を妨げようと、どのように作用してきたかを伝えるものです。
バイエルン王国で1776年に、インゴルシュタット大学(英語版)の実践哲学教授アダム・ヴァイスハオプト(英語版)が啓蒙主義的なPerfektibilismus(人類の倫理的完成可能説)を謳い、Perfektibilistenの同盟をつくり、のちに、イルミナティと改名した。
原始共産主義を志向する側面と、内部の位階制の側面が同居している。ヴァイスハオプトからのキリスト教批判はあるが、それは倫理的完成へと向けるもので、他教への転向などを訴えるものではなく、ユダヤへの関連で語ってはいない。
最盛期には各国に支部が置かれ、会員は貴族、大富豪、政治家、インテリなど2,000人に及んだという。
1777年、ヴァイスハオプト自身もフリーメイソンになっており、並行してフリーメイソンだった者も多かった。
イルミナティの目的は、知的能力を実証された人々が世界を治める「世界単一政府」を生み出すこととされ、文学・教育・美術・科学・財政・産業の分野でもっとも聡明な人々を含む二千人もの信奉者を集めたようです。
シナゴーグに属するサタン(悪魔)の一味とはイルミナティのことをさす。
この大多数派になってる、アシュケナージに、ついては、「20世紀後半、ハンガリー出身の思想家アーサー・ケストラーは、衝撃的な論文を発表した。
自らも「アシュケナージ」である彼が、多くの史実を重ね合わせた結果、アシュケナージとは、イスラエルの民とは全く関係ない、ハザール王国の子孫達であると。
つまり、ユダヤ人だと自称しながら実はそうでなくて、うそを言っている者たちとは、ユダヤ教に改宗したハザール人にことをさす。
ようはその自称ユダヤ人はシナゴークに属するイルミナティの一員だと旧約聖書に書いてある。
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