2013年9月29日日曜日

白人系ユダヤ人とは何者なのか?

 ヘブライ人は白人系ではなかった。古代イスラエル人と血統的につながりをもつのは、アブラハムのときにわかれたパレスチナ人であり、当然ながら彼らは白人ではない。

さらに旧約聖書にさかのぼると、人類の始祖アダムとイブ(エバ)の子孫にノアが出る。ノアの3人の息子のセム、ハム、ヤペテは、セム=黄色人、ハム=黒人、ヤペテ=白人の祖先になったとされている。

それぞれ違う資質を受け継いでいたからに他ならない。

最も重要なのは、アブラハム(後に子孫にイスラムを信仰するアラブ民族が出る)、ダビデ、ソロモン、イザヤ、さらに、イエス・キリストを含む全てのヘブライ人はノアの3人の息子の中の「セム」の子孫という点だ。

当然ながら、ヤコブも「セム」の直系であり、イスラエルの十二士族全ても「セム」の子孫、すなわちアジア系民族ということなのだ。

 これは旧約聖書に明確に記載されている。創世記第11章にアブラハムの系図として10節から26節に明確な記載がある。

つまり白人系の「ヤペテ」の子孫は、「セム」から生まれたヘブライの純粋な血統ではないし、イスラエル人でもないというのが厳然たる事実なのだ。

 それでは今のイスラエルにいる白人系ユダヤ人とは何者か。

彼らは白人系民族のユダヤ教改宗者ということで、血統的なイスラエル人ではない。

ユダヤ教白人種(アッシュケナジー系)という意味でのユダヤ人なのだ。

これらの人々は、紀元8世紀頃、黒海北方に存在したアーリア系白人国家「カザール」の末裔ということが歴史的に判明している。

しかしユダヤ教に国をあげて改宗した「カザール」も、ビザンチン帝国とモンゴル帝国に攻め滅ぼされ、11世紀に滅亡する。

そのため、難民となった白人系ユダヤ教徒は西に移動し、ヨーロッパでユダヤ人として生きていく。


 もちろん、血統的なユダヤ人の一部もヨーロッパに移り住んだが、多くのものはパレスチナの地で、仲間であるパレスチナ人と共に暮らすことになる。

彼ら血統的ユダヤ人をスファラデェイ系ユダヤ人1960年当時、セム系のスファラデェイ系ユダヤ人は約66万人と推定されたといい、イスラエル建国と同時に約束の地に戻ったが、血統的にユダヤ人ではない白人種の「アッシュケナジー系ユダヤ人」により、差別されて下級市民として扱われている。今日のユダヤ人の9割以上はセム族ではない。

 だが、血統的な「スファラデェイ系ユダヤ人」といえども、「イスラエルの十士族」ではない。

彼らは「バル・コクバの戦い」で、ローマ帝国に逆らい、紀元後136年に国を失い散らされた「ユダ王国(南朝)」の末裔である。

「イスラエルの十士族」とは、「イスラエル王国(北朝)」にいたイスラエル人のことで、モンゴロイド系が殆どであった。

白人のユダヤ人というのは、混血でもないかぎり血統的に存在しないことになる。実際の「モーセ」、「アブラハム」「イエス・キリスト」等はアジア系有色人種なのである。

これは日本人を含むモンゴロイド系民族が「イスラエルの十士族」の末裔の可能性を強く示唆している事実だ。


旧約聖書のアブラハム紀元前17世紀)の孫はヤコブ(別名イスラエル)であり、ヤコブの12人の息子を祖先とするのが、イスラエル12支族である。12支族はアシェル族エフライム族ガド族ベニヤミン族イッサカル族ルベン族マナセ族ダン族ナフタリ族ゼブルン族ユダ族シメオン族に分かれているとされる。孫のヤコブ(ヤアコブ)の時代にエジプトに移住した後に、子孫はやがてエジプト人の奴隷となる。400年程続いた奴隷時代の後に紀元前13世紀モーセ(モーゼ)は民族をエジプトから連れ出し、イスラエル12支族はシナイ半島を40年間放浪し定住を始め、200年程かけて一帯を征服して行く。カナンの地に住み、ダビデ王(紀元前1004年紀元前965年)の時代に統一イスラエル王国として12部族がひとつにされる。ソロモン王(紀元前965年‐紀元前930年)の死後、南北に分裂して、サマリヤを首都に10部族による北王国イスラエルと、エルサレムを首都にする2部族による南王国ユダに分かれた。北王国は紀元前722年アッシリアにより滅ぼされ、10支族のうち指導者層は虜囚としてアッシリアに連行された。この10支族の行方は文書に残されていないため、2部族によって「失われた10支族」と呼ばれた。アッシリアに征服された後、信仰を深めるため、信仰を邪魔されない場所に移るとして、消息不明になったと言う預言もある(エズラ第4書13:39〜47)。
ユダ族等の残り2支族は、エルサレムを都として南ユダ王国を建国した後、紀元前586年新バビロニアに滅ぼされた。指導者層はバビロンなどへ連行され虜囚となったが、宗教的な繋がりを強め、失ったエルサレムの町と神殿の代わりに律法を心のよりどころとするようになり、神殿宗教であるだけではなく律法を重んじる宗教としてのユダヤ教を確立することになる。ユダ族等は離散後、ユダヤ人と呼ばれるようになった。























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