2013年9月30日月曜日

誰が原爆をつくり、誰が広島・長崎に原爆投下を決定したのか

アメリカの作家でジャーナリストでもあるユータス・マリンズの記事が雑誌「サイバーX」に掲載されている。

一人はアメリカに原爆開発を踏み切らせたアルバート・アインシュタイン。
もう一人は広島・長崎に原爆投下を決定したマンハッタン計画の責任者J・ロバート・オッペンハイマーだったという。

 アメリカを原爆開発に踏み切らせたのは、アインシュタインの書簡(1939年8月2日付け)をロシア出身のユダヤ人アレクサンダー・サックスが、ホワイトハウスのルーズベルト大統領へ届けたことが発端という。

アインシュタインはロスチャイルドと親交があり、この手紙をみたルーズベルトは、原爆開発の計画をロスチャイルドが承認し、大至急、遂行せよと言っている意味が明確に読み取れたという。

原子爆弾は、ニューメキシコ州のロス・アラモス研究所で開発された。開発に携わった科学者の多くはニューヨークのユダヤ人居住区マンハッタン在住者だったため、この秘密計画は「マンハッタン計画」と呼ばれた。

指導者はユダヤ人の大富豪バーナード・バルークで、責任者も同じくユダヤ人でアインシュタインを師と仰ぐ科学者、J・ロバート・オッペンハイマーである。


 1945年7月16日、ロスアルモスの南200マイルで最初の原爆が炸裂した。

この光景にオッペンハイマーは狂喜して、「私は死神、世界の破壊者」だと叫んだという。ユダヤ人の5000年にわたる欲望、「全人類を支配する究極の力」をついにユダヤ人が獲得したことを知ったからである。

 オッペンハイマーは、原爆投下は日本に警告なしに行われるべきだ、と主張した。

アインシュタインはユダヤの大財閥バルークとともに、京都を原爆の最初の血祭りにあげるべきだと主張したが、スティムソン陸軍長官は、「京都に何ら軍事目標はなく、由緒ある木造寺院が数百ある」と言って猛反対したという。

実はアインシュタインとバルークは、京都が日本国民にとって深い文化的意義をもっていたというまさにその理由によって、京都の破壊を求めていたのである。

 オッペンハイマーは引退後、師アインシュタインがロスチャイルドに頼んで創らせた秘密財団のシンクタンクの理事を務めている。


「マンハッタン計画」に携わったユダヤ人科学者の中で、もっとも反日強硬派だったのはフォン・ノイマンだろう。

彼は日本人を蔑視し、京都を原爆の最初の血祭りにあげるべきだと主張した。

京都が日本国民にとって深い文化的意義をもっていたというまさにその理由によって、京都の破壊を求めていたのである。

 しかし、ヘンリー・スチムソン陸軍長官の反対によって、京都は原爆のターゲットから外された。

彼は、京都の代わりに長崎の追加を指示したのである。

(ヘンリー・スティムソン陸軍長官は新婚旅行をした時に京都が気に入ったので、原子爆弾のターゲットリストから取り除いたらしい)

アメリカ軍部の一部は京都を原爆投下目標とすることを諦めず、空襲を実施しなかった。

原爆投下後に原爆の影響を正確に把握するため、空襲が禁止されていたのである。

京都が最後まで空襲されなかったのは、原爆投下の前に日本が降伏したからにすぎない。

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